本日2回目の更新です。ARAIです。
さて、今朝の記事冒頭でも少し触れましたが、今日で10月が終わります。
例年であれば「ああ、年末が近いなぁ」と思う程度なんですが、こと今年に関しては、この「10月の終わり」ということがまた別の意味を持ってきます。
そうです。今日で10月が終わるということは、明日で11月1日を迎えるということ。
すなわち、V6の解散する日が―、V6の26年の歴史に幕を下ろす日が―、「その日」が―、もう明日に迫っているということなんです。
そこで今回は、来たる明日、2021年11月1日に解散するV6への最後の想いを、この心のままに、綴っていきたいと思います。
言葉だけじゃ足りない 溢れていく想いは―
このブログを始めるきっかけにもなった「V6が解散する」という事実。
物事があまり続かず、腰を上げるのが重く、決断するのに時間がかかるという三重苦を抱えた私が(笑)、「今こそV6への想いを、少しでも良いから記そう、綴ろう、残そう」と決断し、実際にブログ開設という行動を起こすまでに至ったほどに、「V6」という存在は私の中でとてもとても大きな、かけがえのない存在です。
この辺りの、ブログ開設までの経緯だったり、V6への想い(の一部)などについては、夏頃にも一度書かせていただきましたので、よろしければご覧ください。
この記事を書かせていただいた時にも、まあそれなりにはV6への想いを書かせていただいたつもりではあるんですが、さすがに今日は解散前夜。
何を書こうと決めたわけではないけれど、それでも何かを書かずにはいられないという気持ちで、今、キーボードを叩いています。
形無いものを 信じられた
「V6が解散する」というその事実自体は変わらず、解散を明日に控えた今日を迎えても、自分でも不思議なくらい、取り乱すこともなく、ストンと心の中で受け止めることができています。「なんとかして解散が白紙にならないかな」とか、「嫌だよ嫌だよ、嘘だと言ってよ」というような気持ちははっきり言って私にはありません。
なんでしょう。
私の中で「V6」という存在は、そりゃあまあ間違いなく大きな存在ではあったんですが、同時に「さりげない」存在でもあったんですよね。
さりげなく、おだやかで、やさしくて、やわらかくて、あたたかい。
心や頭の片隅に常にいるんだけれども、良い意味で存在感がないというか。ゆるりとふわりと漂っているような。
確固たる存在感や激しい情動をもって私という自我を確立させてくれるものではなく、さりげないぬくもりをもって私という存在を支えてくれるもの。
おそらく私自身の、彼らに対する「好き」のスタンスも影響していることとは思いますが、日々の生活の中で気付けばふわりと自分の周りに漂っている。過度に自分に近付いてくるわけでなければ、自分からも過度に近付いていくこともなく。ごくごく自然に、ごくごく普通に、「ああ居るな、居てくれているな」程度に感じる存在なんですよ。在って当たり前、居て当たり前。
今にして思えば、この心地よい「さりげなさ」こそが、私がV6を20年以上も好きでいる所以なのでしょう。
だからこそ、彼らが「解散する」とわかっても、はじめこそ取り乱しはしたものの、それもまた「さりげない」事実としてふわりと受け入れることができたのかもしれません。
「ああ居るな、居てくれているな」とごく自然に自分の周りを漂っていたものが、いなくなる。
「そうか、もう行ってしまうんだね」とごく自然に受け入れることができる。
そこに、「行かないでくれ」という気持ちは、自然と湧いて来ない。なぜって、だってそれは彼らが決めたことだから。
喧嘩別れでもなければ、メンバーの不祥事というわけでもない。ましてや不幸があったわけでもない。
彼らが自分たちで決めて、自分たちの言葉できちんと伝えてくれたから。
私はそこに、いつもの「さりげなさ」を感じたんです。あまりにもいつも通りな、あまりにも自然な「さりげない」幕引き。
「ああ、そうか、行ってしまうんだね」と、自ずとまた、ふわりとさりげなく、その幕引きを受け入れることができました。
此処からいなくならないで
じゃあV6が解散して寂しくないのか?というと、そんなことは決してありません。
そりゃあ寂しいに決まっているだろう。
いつもさりげなく傍にいた彼らがいなくなるんですから、「在って当たり前、居て当たり前」の存在がいなくなるんですから、そりゃあ寂しいですよ。
けど、こうも思うんですよ。
V6が解散したとしても、私はこれからもずっとV6の歌を聴いて生きていくんだろうな、と。
彼らが解散したとしても、彼らの歌は此処にある。
私の心に、私の日常に、私の人生に、これからもずっと在り続ける。
今まで通り、「さりげなく」私を支えてくれる。
それだけは、絶対に間違いないんです。
この先何があっても、「私」という「此処」から、V6がいなくなることはない。
だから、解散を目前に控えた今でも、こんなに穏やかな気持ちなんでしょうね。
あの日々があったから 今の僕がある
気付けば私も三十路。私の人生は、V6と彼らの歌と共に歩んできました。
小学生の時に「悲しいことがあれば、もうすぐ楽しいことがある」と気付かせてもらい、中学生の時は「いつでもヒーローになれる」と夢を与えてくれ、高校生の時は「心のままの情熱は、間違いなはずがない」と背中を押してもらい、大学生の時には「悲しみを抜けて、分かち合えること」を謳ってくれた。そんな彼らの歌を、大人になった今でも変わらず、私はこの胸に掲げ続けている。
私をずっと支えてくれたV6。
さりげなく、やわらかく、あたたく、私を支えてくれたV6。
彼らの歌と共に過ごしたあの日々があったから、今の私がある。
そこにはもう、「感謝」しかないんですよね。
以前にも書かせていただきましたが、私が彼らに抱く一番の想いは「感謝」なんです。
寂しさや哀しさが一切ないと言えば、それはウソになります。
しかしそれを容易く上回る「感謝」の想いが私の心に溢れている。
どれほどのネガティブな感情も、この想いの前では無きに等しいんです。
この場を借りて、私は彼らに伝えたい。
決して彼らに直接届くことはないけれど、彼らにこの「感謝」の気持ちを伝えたい。
今まで本当にありがとう。
今まで本当にお疲れさまでした。
そして、これからもずっと好きでいます、と。
明日のライブは、どうしても仕事の都合がつかなかったので行くことも、配信を見ることもできそうにありません。
断腸の思いとはこういうことを言うんだろうなと痛感していますが、本当に残念です。それだけが心残りです。
しかしだからこそ、今日この記事を書くことができて、曲がりなりにも想いを書き残すことができて良かったと、そう思うことにします。
ライブに行けなくとも、配信を見ることができなくとも、この想いと共に、明日を迎えることとします。
95 groove
いやはや、それなりの文章量になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
一応、以前V6の好きなシングル曲について書かせていただいた記事もあるので、よろしければ是非。
さて、最後になりましたが、明日、ライブに行かれる方、配信をご覧になる方、心から楽しんできてくださいね。
明日は最後にして最高のライブになることを心から祈っています。
そしてV6の皆さん、少し早いですが改めて、26年間本当にありがとうございました。
このブログの更新自体は、おそらく来週末から平常運転に。いつも通りの「セブン4K」感想になるかと思います。
それではまた。